逆子の経腟分娩

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コラム

逆子の経腟分娩

2020/10/21

逆子の経腟分娩

自然分娩はそんなにリスキーか?

問題なかった率97%

一番のハイリスクは恐怖感

整骨院にいらした11月出産予定の患者様が逆子で困惑中。

58歳の私にとって驚く響きではない。数年に一度は周囲で耳にする。

そもそも赤ん坊は羊水の中でグルングルンと回転しながら遊んでいるのだから妊娠覗くタイミングによっては誰しもが逆子的位置づけでいるわけで、妊娠中期までは半分くらいの確率で見られるし、30週でも18%、そのまま出産を迎える人は5%というから、徐々に徐々に下を向いている時間が増えてくるとはいえ、38週と言っても24時間頭を下にして固定されてるはずがない。

それを出産予定日がまだ一か月以上も先だというのに異常とか稀なことのように伝える医療もおかしいし、ビクつくような事象ではないことをプレママたちはどうか知ってほしい。「赤ちゃんがその姿勢が楽と感じているんだ」と写真の本で吉村院長(元)は言っている。逆子のまま生まれたって97%は自然分娩で元気に生まれている、とも。

どんなことにもこの程度の例外というかマイナーケースはあることを大人なら知っている。

ましてや逆子ゆえに死産や後遺障害という話も聞いたことはない。どんなに医療や衛生設備が整っても文明が進歩しても古今東西、お産の約3%はなんらかの異常事態が起こる。残念ながら母子もしくはいずれかの命を落とすケースは一定割合生じている。

パートナーを見つけるまで、受精するまで、着床するまで、そして妊娠しても安定するまで、そして後期まで妊娠を継続するというプロセスは決して当たり前に進む流れではない。各々生物的弱点がある中で、どうしてもその先へ進むため、考え方や生活様式を変え、努力しながら各自リスクを乗り越え次のステップへと進んでいくのが人生。お産だからといって医療に任せきりでは失敗しても学べないし、今回は無事進めてもいずれは自分で乗り超えなければならない壁につきあたる。

日本人はどうしてこうもマイノリティを恐れるのだろうか?

その子にしかない個性を大切に、と言いながら、現実は多数派に属させよう、多数派にいれば間違っていても安心する風潮が根強い。 

しかしお産の千差万別を知り、それがその子の個性とみてあげられると、その後どんなマイノリティとなっても自然に受け入れられると思うのだが、そのお産の現場ですでに各々の赤ちゃんの出てきたいタイミングや胎位まで一定パターンに収めようとしている。

かくいう私の出産でも、赤ん坊が3000gを超え、予定日を過ぎた時点で入院、全く兆候もないままに陣痛促進剤を点滴、風船を入れて強引に破水、それでも子宮口が半分しか開かないというのに微弱陣痛のまま分娩台に乗らされ、会陰と子宮まで切開をして子供の頭を引っ張り出してしまった。

恐らくまだ1、二週間は子宮で寝ていたかったであろう我が子はこうして無理やり突然な出生を余儀なくされたわけで、その影響は、その後ずっと後をひいた。保育園には行きたくない、学校も勉強も、習い事も、学校行事、あらゆるイベントも、とにかく大人が段取りしたものはことごとく拒否である。初めてのことにはとにかく身構え、やりたくない、できれば家にいたいという心理がいつも働く子になってしまった。

私自身は新しい事、初めての体験が大好きな為、子供にも大いにその機会を与え、たっぷりの好奇心を沸かせ満たしてあげたかった。のに、スイミングでもスキー教室でも首に縄をつけるかのようにして引きずって行かなればならず、あるいはお金を払ったのに泣く泣くキャンセルということも多かった。彼の意向を聞かずして強引かつ不自然な人生の幕開けを展開したことに起因しているように思えてならない。。

 

さて、話を逆子に戻す。

若くして人生の一大事に臨む妊婦が不安になるのは仕方ないとしても、私たち周囲は、ましてや専門家はその不安を払拭し、人生最高のイベントとエクスタシーを楽しみに迎えるサポートをしなくてはならない。

出産能力を失ってからなお数十年と生きる動物は人間だけだそうである。なぜ?

ジャレド・ダイヤモンド博士は、生活圏内に閉経後の女性や高齢者の割合が多ければ多いほど、その民族の文化水準は高いと言っている。

つまり、もう子を産まない女性や一線を退いた男性は若い世代の子育てや社会生活をサポートし、集団の知性と発展の為に存在しているのだと言える。

また、多くの高齢者に接し見守られて育った子供は、両親や保育士や若い世代の中でのみ管理教育された子供より情緒豊かで温厚で思いやりを備えている・・と感じるのは私だけではないはず。高齢者のいる環境は子供にとってもその親たちにとっても本当はとても心強いことであり、教えを請い敬い、そして大事にし労わる文化こそ高い水準へと進化する鍵だと思う。

現役の若い医者や助産師の言葉より、90歳のおばあちゃんに「大丈夫、心配ないよ」と言われたら、一番安心ではないか?

 

しかしながら今時は統計でリスクが語られるようになっている。

いくら心配ないと言ってあげたくても、「じゃあ3%はどうなるの?」というわずかな割合のリスクに、不安な人は着目してしまう。

何事100%ということはないのだし、実際過去には発生している死産、難産、窒息、後遺症・・の可能性がたとえ数パーセントでもあるならそれは受け入れられない・・そう考える気持ちにかける言葉はない。

「大丈夫だと思うよ」「そんなに気にすることない」と言うのは、単なる気休めや楽観とも少し違っている。

 

逆子でなくても数日に及ぶ難産もあれば、へその緒が巻き付いての窒息など不測の事態はありうる。

そして逆子でも大量出血があっても足からスルリと生まれてきたという話も決してめずらしくはない(左の本など参考にされたい)。

結果に大きく作用するのは、赤ちゃんの位置などよりも、お母さんの不安と恐怖、迷い、いわゆるマインドなのだと私は確信をもって言える。

運動会で「一等賞をとるぞ!」と一心不乱に全力で駆け抜いた子供と、「転んでけがをしたらどうしよう、骨折した人もいたらしい、やめようかな」などと不安や迷う気持ちを持ちながら走った子供、どちらが怪我をするか、という問いにも似ているのではないだろうか。

前者でも転んで怪我をする子はいるだろうし、後者でも見事一位でゴールを切る子がいるかもしれない。

しかし私はそんなリスクや統計なんか気にするなと言いたい。本当に怪我をしたくないなら、日頃からよく駆けっこしたり準備体操や練習をしておけばリスクが少なく、よい結果につながる可能性は高いけど、実際は当日のコンデションや緊張感などにも大いに左右される、それを受けいれなくて何の楽しみがあろうか?

準備しても負け、警戒してもハプニングはあり、それを楽しみながら経験を積み、学び成長していくのが人生なのである。

58歳、一応健康には問題なく子育てを終えた私が、

臨月を逆子で迎えた二十代の妊婦さんに「大丈夫」と声をかけたところで何の足しにもならなさそうなので、直接伝えるのはやめ、このコラムにしたためることにした。

あと数日赤ちゃんが「多数派」の胎位にならなければ、おかかりの医院では帝王切開になるという。

正直私、それはとてもとても残念でたまらない。産院を変えたら?とすらマジで思う。

赤ちゃんは何の異常もなく、温かい羊水の中で来月の出産へむけて最後の準備をしているところである。

担当医が予測した出産予定日とは別に、赤ちゃんなりに身体を整え月のリズムなどの自然環境と最善なタイミングを相談しながら、お母さんと呼吸を合わせ、産道という尊い道を通って対面し抱かれおっぱいを吸いに行く日をシュミレーションしドキドキしながら日々過ごしている。

その赤ちゃんの意思を全く無視し、ある日突然メスでお腹から子宮を切開し、眠っている赤ちゃんを取り出して、お母さんと連結しているへその尾を切断する(生理的に準備されていないので拍動があり、血液が噴き出す)なんてことを承諾してよいのでしょうか?

帝王切開を承諾するお母さん達は、赤ちゃんの誕生の仕方がどんなに大切なことか、その意味と、これからの人生にどれだけ大きな影響を与えることになるか十分わかっているでしょうか?

 

わかってもわからなくても、お母さんが当日を不安と恐怖いっぱいな思いで迎えるとしたら、赤ちゃんも当然、生まれるのが怖くなってしまいます。家族みんなが本当に自分を待って歓迎してくれるのか、お母さんは楽しみにしてくれていないのではないのか不安になりながら、自分の意思とは関係なく突然決められたその日に、いきなりまぶしい手術台の強い光にさらされることになります。

そんな人生の幕開けの日、唯一の頼りのお母さんは麻酔で眠っており、この世で最初に接する手が医師や看護師のゴム手袋になってもよいですか?