寿命

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コラム

寿命Ⅱ

2020/10/13

哺乳類と鳥類は細胞分裂回数だけが決まっている

人の寿命は病気や環境によって決まるのではない

魚類、爬虫類、両生類の寿命は習性や環境で決まっている

生き方は選べない

これは衝撃だった。

いつ、何で読んだのか、メディアやセミナーで聞いたのだったかは覚えていない。

私たちがどんなに身体を大事にしてもしなくても、細胞分裂の回数がDNAにプログラムされていて、その回数を終えると心臓は止まりいわゆる寿命を迎えるそう。とそれは何となくそうだろうとは思っていたが、驚いたのは、魚や両生類や爬虫類はそうではなかった、つまり彼らには老化や寿命というプログラムはないらしい。

考えてみれば、大きい魚、大きな亀やカエル、ワニ等はたぶん、小さいそれらより長生きしているはずだが、鳥や哺乳類のように老化というか、経年的な変化は見られない。

食用としての鶏肉は若鳥(というか成長しきらない子供)が好まれ、親鳥となると肉が筋張ってきてあまりおいしくはなくなるが、魚の場合、大きければ大きいほど美味しくなり、老魚という概念はない。

釣り人と沼の主たる大魚が何十年と対決し続ける話があるけど、人間は老齢になってゆくのに、魚が老いたり釣られないまま死んでしまっていたりはしないのか?と私は疑問を感じていた。が、彼らは捕食者に食べられるか、別な衝撃を受けるか、あるいは産卵や餌がなくてエネルギー尽きるなどの物理的要因でしか命を終えない。逆に言うと、彼らは誰かの餌として存在し、生存できない環境にならない限りは何者かに食べられる運命なのである。

 

そしてもう一度逆に考えてみると、上記のようではない私たち哺乳類と鳥類だけが、どんな生き方をするかで細胞分裂後の身体が影響を受け、その回数を重ねるごとに経年変化が起こり、新陳代謝も省エネ化などしながら、定められた回数がくれば終了する。しかし決まっているのは分裂回数だけなので、細胞の使い方、新陳代謝にかかる負荷や、新しい細胞を作るために取り込む食事や作られる血液によって、生命活動の質、怪我や病気の損傷や回復、経年劣化の具合など大いに変わり得る。一つの個体として変化に富んだ一生を送ると同時に、同じ環境で生まれても生き方の選択によって随分と個体差が発生しうる。

それは生命なら、あるいは動物なら当たり前だと思っていたけれど、哺乳類や鳥類だけの特権であって、

魚類、爬虫類、両生類には彼らの生命の長さや質をコントロールする術も違いもない。天敵の捕獲からどれだけ速足で逃げ切れるか否かの差は少しあるにしても、それで精いっぱいであり、たまたま気候がよく天敵がいなければどんな亀でもカエルでも長生きし、網にかかれば年長魚も稚魚もそれまでの命なのである。

「どうせ誰でもいつかは死ぬんだ」とか、「どんな物を食べてたって長生きするわけでもないじゃないか」なんていう人がいるけど、それは寿命という時間だけで言えばそうだけれど、同じ長さの人生をどう生きたか、という質はまるで違っていることにお気づきだろうか?

どうせ、とか、食べ物の選択をせずに寿命を迎える人の死因は恐らく病気である。

血管内にコレステロールがこびりつき細胞の新陳代謝が衰えて全身ボロボロになっても、プログラムされた細胞分裂がまだまだ続く限り、痛みをこらえたり、生活の制限を余儀なくされたり寝食や呼吸まで助けられながら日々を懸命に生き、晩年は多くの時間を病院や介護施設で過ごしながら意識混濁のうちに終焉を迎える方がほとんど。病で亡くなる方が99%と言われます。

が、病ではなく元気なまま寿命を満了して亡くなる方はというと、、

全身の細胞分裂の回数が連動して衰えてゆくため、おそらく1年前、1か月前、1週間前に本人は気づき始めます。

なので1年前には行きたいところを訪ねたり、会いたい人に会う計画を立てるでしょう。風景の美しさを思い出と共に感慨深く見納めることでしょう。そして1か月前は身の回りの整理やご家族たちに伝えるべきことをそれとなく伝えることでしょう。決して寿命が迫っていることは言いません。変わらぬ1か月を穏やかに過ごしたいからです。

1週間前には身体の準備を始めます。もう栄養供給は必要ありませんから食欲はなくなります。もう食べることへの執着も残念さもありません。3日前からはお茶も水分も欲しくなくなるそうです。細胞が段々水分を失って枯れていきます。体内の水分が55%を切ると、脳内にはエンドルフィンだったか、ランナーズハイと同じような朦朧として明るい気持ちになるホルモンが湧き出すと共に、痛みや悲しさなどの感覚は麻痺しつつ昏睡、そして徐々に徐々に呼吸と心肺が停止します。本当の老衰とはまるで木から葉っぱが落ちるように自然の風景の一コマのよう、なのです。

 

私たちは誕生の仕方は選べませんでした。

本当は自分の心の準備が整ったタイミングで満月に導かれ、家でお母さんと息を合わせ生まれてきたかった。けれども大概は家族と離れ、病院に向かわれ、自分の意思を確認してもらうまでもなく母は恐怖のうちに医療者の指示に従い、無機質な寒い部屋で生まれてきました。すぐ母に抱かれ、おっぱいに触れて安心したかったのに、知らない手でお湯にくぐらされたり、痛いタオルでこすられたりしてからやっと母の胸に乗りました。いえ、一晩、二晩と母に会えず不安な人生の幕開けをした赤ちゃんも多数いたことでしょう。

しかしどんな風に死を迎えるかは自分でプロデュースしたいと思いませんか?

どんな風に死ぬかは、どんな風に生きてきたかの延長戦上にあります。

終わりよければすべてよしという諺は、人生そのもののことを言っている気がします。