健康管理する理由

お問い合わせはこちら

コラム

健康管理する理由

2019/09/24

アクティブシニアの役割

歳をとることを楽しみにする

少し前までアルバイト先で、同僚の方々がほとんど年上という環境だった。60代~70代前半の方たちがお昼休み畳の部屋に寝そべり、たわいもない話をする。
少し年代のはなれた56歳の私は、年齢的にではなく、健康観が違うためもっぱら聞き役に徹し耳をそばだてていた。

現在健康で働けていて、同居もしくは近所に住んでいるご家族との関係もお金にも特段問題がない、いわゆる“幸せ”そのものな方たちだが、人間はどうあっても心配から解放されることはないのだろうか、健康や将来の話になると不安に苛まれている感じが伝わってくる。

お一人は前年、実のお母様が介護施設で大往生され、お一人は近くで一人暮らしをしている認知症気味のお姉さまに定期的にお夕食を届けているそう。
ご立派である。
しかしそこで我に返り、気の置けない仲間とリラックスしながらそれを話すとき、なんとなくどんよりとする気持ちがわからなくはない。

みんな不安なのである。
自分もやがてそうなるのかナ、いつまでこうして元気で働けるのだろう。仕事の辞め時はいつごろだろう。その時、自分がしたと同じように誰かが面倒を看てくれるのだろうか・・

 

「そんなことないですよ!だから健康管理なんですよ!」

と、私は話に割って入りたい気持ちが山々だが、あと数分の休憩時間にまとまる内容でないし、第一「え?どういうこと?」と興味をもって切り替えしてくださる方がいるはずもないので、無言のまま午後の仕事に向かうしかない。

一般に年齢とともに身体は衰えいずれ病気になって死ぬ運命だから、最後は医療か介護を受けて徐々に意識を失って生を終えるのだと思われがちである。ほとんどの方がそう思われているのは、実際ほとんどの方がそうした最期をお迎えなのだから無理もない。

 

しかし!自然界の動物を見てほしい。
病気や認知症で苦しみながら、あるいはその状況もわからないままに日常の世話をされながら死を迎えるものがいるだろうか?
年老いた親の面倒を看る動物はいません!

 

動物は捕食されずに死期を悟ると群れから離れ、何も食べなくなり、やがてはお水もとらなくなって一人暗いところでひっそりと最期を迎えます。
その感情を知ることはできませんが、そこに不安や恐怖、寂しさなどのイメージが私はありません。
出産と同じく死もまた自然の摂理、連綿と続く日常の一コマとして何ら特別の日ではないように私には感じられます。

 

人間も同じ動物として、どうしてそのように穏やかに迎えることができないのかと、いえ、そのように穏やかに迎えたいものと私は思うようになりました。
その準備の一つが、健康管理です。

“備えあれば憂いなし”の格言にあるように、いつ死を迎えても後悔しないよう、できうる健康管理をし、できうる生を謳歌しています。

 

「お母さんの介護なんて俺ゼッタイにしないからね!!」
もうじき25歳になる一人息子が何度か言いました。
ありがとう(^^)/私も絶対にしてほしくありません!

 

明日が運命の日だろうと、あと50年生きることができるとしても、私は最後まで自分の内臓をいたわり、散歩をし、太陽を浴び、季節の風にあたり、月や星を眺め、価値観を共有できる友人と話し笑い、、できれば若い方たちに必要とされる何かを手伝い、小さい子供たちと遊び、歳をとることは素敵なことだと思ってもらえる最期を見せたい。

 

そのためにもわざわざ内臓を疲弊させるものは口にしたくないし、身体が欲する季節の収穫物を好きに料理してゆっくり味わいたい。突然ぎっくり腰に見舞われない為に時々思い出したら骨盤底筋群を鍛える体操をし、背中が丸くならないようお風呂上りは背中を見たり、読書や歩く時の姿勢に注意している。
もちろんまだまだ気づいていない盲点もたくさんあると思うから、身体についての本や情報にはアンテナを張っている。