置換手術Ⅱ 股関節体験記
2020/11/18
股関節骨折→壊死→置換?
私の体験記
そういえば私も9年前、大腿骨の頸部を骨折し、骨髄部分にチタンの人工骨を差し込む手術を受けていた。翌年壊死と診断され、杖なしには歩けない時期が二年間あった。
前日ふわっと積もった雪が薄く凍りついた早朝の道路、帰りは解けそうと軽く見た私はいつものチャリ通勤をして三回大転倒し、三回目はピクリとも動けなくなった。
両大腿骨つまり太ももの骨は、付根部分が頸部といって内側に折れ、先端が球状になって骨盤にはまり、いわゆる股関節を形成している。股関節や大腿骨骨折といえば大概この頸部にひびが入ったり、完全にくの字に折れてしまっているようである。
即手術と言われて承諾しかね、ストレッチタクシーを呼んで一旦家に帰ったものの、手術せずに対応してくれる施設は探せず、微動するにも激痛で、在宅では為すすべもなく四日後観念した。
その他の部位と違ってギプスで固定もできないし、動かさずに過ごすことも不可能。昔なら、ずれた骨をエイと引っ張って戻らないようにおもりをぶら下げて骨がくっつくまで3~4か月安静に待ったそうだが、その間脂汗ものの激痛らしく時間もかかるため、現在やってくれる病院も整骨院もまずない。(後日、山梨に一件あったことを知った。。)
現在の手術は股関節に近い太ももに三か所、メスだけ入れるための切開をし、ブラインド操作でくの字に折れている骨をチタンボルトで固定する。患部が固定されると痛みも減って翌日からリハビリ開始、日ごと回復を実感する快適な入院生活を二か月送り、三か月目から職場復帰した。
なかなかスムーズな歩きができないのは筋肉が落ちたからということだったので、退勤後もできうる限り毎日トレーニングジムに通った。しかし直径1cm以上、長さ18cmの重たい金属が、大腿骨の本来骨髄が詰まっている空洞に(スペアリブの液状部分を押しのけて)ズボリと刺さっている状態でリハビリに励んでいたらどうなるか?
そのまま回復し、一生チタンを埋め込んだまま問題ない人も50%いると聞き楽観していたが、結果は悪い方の50%に入ってしまった。
元通りに回復すると信じていた私はすぐにまた自転車通勤を再開していたが、今思うとまずは歩くという基本から順に整えていくべきだった。ペダルをこぐという動作は歩く筋力や骨格への負荷とは違い、骨頭を再形成する刺激にならなかったのだと思う。軟骨はすり減ってミシミシと痛みだし、摑まるものがなければ歩けなくなり日ごと悪化していった。骨盤の窪みにハマっていた大腿骨の骨頭球部は壊死によって半球状に潰れ、クッションである軟骨が摩耗したため神経に触れ始めたのだった。
今ならよくわかる。私は元々あまり身体を鍛えてこなかったので骨も細目、筋肉も少なめ、ボルトで血流が阻止された股関節は積極的なリハビリには耐えられなかったのである。
血液そのものの活力には自信があったが、骨も骨髄洞も細いために、チタン棒が入ると栄養を運ぶ流れはせき止められていたと想像できる。リハビリで筋肉をつけ早く歩けるようになりたい一心の私は、そんな虚血状態の足でかつてしたことがないほどトレーニングに励んだが、組織は身を削って耐え忍んだ、もしくは「やめてくれ~」と叫びをあげたともいえる。
骨頭壊死により人工股関節への置換手術が必要と診断されてしまった。
まだ摑まれば歩けていたが「間もなく軟骨がなくなれば明日にも激痛で歩けなくなる」と、私は緊急手術にリスティングされた。躊躇する間もなく手術日が決まり、金属アレルギーテストや、自己輸血の準備など進められた。人工関節になると身体障碍者4級となるのでその申請手続きや公的助成についての説明を受け、その流れに抗えなかった。まだ歩けて筋肉が落ちないうちに人工関節を入れてしまった方が経過がよいとのことだった。
自然を信じろ
「目を覚ませ‼」
幸いにも偶然にも、手術予定日までの短い期間中、私は師匠であるミケランジェロ・キエッキのリフレクソロジーやボディトリートメントをもともと予約していた。手術は絶対に反対されるだろうが、今後自立して生活するためには必要と私は腹を決めていたので、師匠には内緒にするつもりでいた。
トリートメントも足のみとし、背中のバッチテストは見せないよう意識していた。
が、大師匠というのは時にするどい感が働くものらしい。結果的にはありがたかったのだが、私の隠し事を見抜いたかのように、背中に貼られていた術前検査であるアレルギーテストの絆創膏に気づかれてしまった。
「自分の身体が信じられないか?自然が信じられないか?」と声を大にして説得された。泣きたかった。だって手術しないと激痛となって一生歩けないと医者は断言している・・(´;ω;`)
ミケランジェロ先生に師事してから8年目くらいだったが、いつも「自分で決めなさい」が口癖で、骨折した直後も何も指示はしてくれなかったから私は精一杯考えた末、入院して手術を受ける決断に至ったのだった。
しかし師匠は、2度目は看過できないとばかりに激しく私を諭した。だったら最初から病院へいかない方法を促してくれればとも思ったが、労災の適用だの、立てない間の日常生活だの、完全に自然治癒に委ねると一切補償がない。全く病院へ行かないという選択も現実的ではなかった。
しかし人工股関節置換となれば、事態は取り返しがつかない。なぜなら、人工股関節に置き換えるということは、まだ残っている自分の骨頭部分を頸部からブッツリと切断して破棄し、チタンで作られた人工の骨頭部分をそこに付け替えてしまうことなのだから。
師匠の大反対にあってまた幾晩か悩みに悩んだけれど、「Nature is Perfect-自然は完璧ー」という氏の哲学、大原則を人生の指標に8年間師事してきた自分を否定するわけにもいかない。人工物ではなく自分の組織の復活を信じることにし、私は担当医に「2回目の手術は当初入れたチタンボルトを抜くだけにしてほしい」と直接電話をかけた。
医師にとってこんな申し出を受けるのは初めてのこと、「抜いたとたんに骨が崩れ、全く立てなくなるか、結局改めての埋込手術が必要になる可能性が高いよ」と再三覚悟のほどを確認されたが、私の決意が硬いと判断し了承してくれた。日産玉川病院の小川先生。そして医長は日本の股関節の最高権威の松原先生だったことも私には幸運だったと思う。
結局そんな怖い結果にはならなかった。
今思えば、ボルトを抜いて崩れてしまうような骨なら、人工股関節だって定着して機能できるはずがないではないか。(恐怖があるときは普通に考えられなかったが)
チタンボルトを抜いた私の大腿骨はやっとつっかえ棒がとれ清々したように血流を回復し、痛みもなく日に日にリハビリの成果が出たが、杖なしで歩けるようになるまでにはそれから二年もかかった。現在も側弯と少々のビッコは残っている。が、まだまだ回復途上だと思っている。
チタンが骨髄を塞いでいた状態ではリハビリに励んでも虚血(酸素不足)だから筋力や柔軟性に繋がらず、組織は省エネのために自殺するしかなかったのだと、今なら「壊死」という生命の選択を理解できる。
そして心臓には部分的壊死のような「リーチ」段階はない