健康的に食べる

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コラム

健康的に食べる

2019/12/31

健康的に食べる

元気と若さを取り戻す食事

酵素玄米ご飯

新年おめでとうございます!

昨年の、いえこれまで積み重ねてきた数々の失敗を糧に進化していきたいものです。

 

新年にあたり、今年は健康的に生きよう!と抱負を立てている方のために、いま一度マテマータ流の基本をまとめておきたいと思います。

どうかどうか、「好きなものを好きなだけ食べて太く短く生きよう」などとご自身を冒涜せず、庭を整えるように、部屋を掃除して整理整頓するように、お身体を丁寧に大切に扱い、自分らしい最高のパフォーマンスで生きてください。その時自分に何ができるか、自身がどんな可能性を秘めているか、私達は想像もできないと思います。

 

1.化学物質を食べない

なぜなら、化学物質は食べ物ではないからです。ただ粉場だから無臭にされているからそれと認識できず食べてしまっています。

お砂糖、化学調味料や合成保存料入りの調味料やお菓子、インスタント食品、そして病院から処方されるお薬も含まれます。

お庭にビニール袋やプラスチックのかけらが落ちていたら十年後もそこに留まっているように、私たちの腸の中でもそれらは分解できずコールタールのようにずっと残留しています。運よく排泄されたとしても、それは下水から海に流れ、お魚に飲み込まれ、また飲食物と一緒に身体に摂り込んで体内で濃縮されていくのかもしれません。

薬も食べ物、そして食べ物こそが薬。

身体をよくしようと思うなら、薬になる食べ物を食べ、食べ物でないお薬は取り込まないようにするのが基本です。

 

お医者様からのお薬を飲み続けている方は、思い切って減薬、脱薬をご相談してみませんか?そのための専門外来もあります。そのお薬を食べ物に置き替えてゆけばお身体は大いに変わってゆくと思います。

 

お砂糖はどこまでをNGとするかの境界は悩ましい所です。

私は白砂糖、粉砂糖、グラニュー糖、三温糖までは絶対にとりません。三温糖は製法はほとんど白砂糖と変わらず着色しているだけという意見もあります。

てんさい糖や粗糖はやむを得ないときは使います。ハチミツは動物性なので摂りません。植物の受粉に貢献してくれているミツバチたちの捕獲に反対する理由でもあります。

 

2.動物を食べない

ヴィーガンになる理由は様々ありますが、私は動物を殺戮を前提に飼育することに反対したいことと、そうして殺された動物たちの感情を摂り込むことも避けたいからです。

どんな食べ物を選ぶかは人それぞれという意見もありますが、ご自分で対峙して捕獲できる方のみ食べる権利があると思います。

 

3.ナス科を食べない

タバコがナス科です。ほおずきも朝鮮朝顔もナス科です。ジャガイモもナス科です。

ナス科には中毒性や有害性があることを私たちは知っており実がなっても食べない植物も多いのに、茄子やピーマン、ジャガイモ、トマトなどが海外からもたらされました。古来の日本では食べられていない物ばかりです。植物図鑑のトマトには毒があると記載されているのを見たこともあります。

南米の原住民がヨーロッパに武力侵入されたとき、トマトやジャガイモの有毒性を征服者にあえて伝えなかったという説もありますが、一度市場に出回りこれらで生計を立てている方も大勢いる今日、これらを食べないようにと公式に叫ぶことはできなくなっています。

 

しかしこうして伝えても、信じてくれない方が九割。あとの九分九厘の方々も芽をとれば食べていいとかそんなに摂らなければ大丈夫と言ってセーブさえしようとなさいません。まだ胃腸肝臓に余裕がある方は支障を感じないかもしれませんが、加齢とともに確実に内臓が消耗していく理由はこうした有毒物質が負荷になっているからではないかと思われます。

逆に何も病気がなく、寿命までまだまだ余裕がある方が今のうちから避けることにより、加齢の消耗を防ぎいつまでも若々しさを保つだけでなく、周囲でインフルや風邪が流行っても恐れや不安を感じずに過ごすことができるようになります。

動物や有害中毒性のある野菜を避けていると内臓の負担が少ないため、容易には感染症にかかりません。

罹ったとしても非常に短時間で菌の繁殖は終わるため、重症になることが(我が家ではここ15年)ありません。

病気や感染に対して恐怖を感じずに過ごせることが素晴らしく、この食事の選択を15年続けている理由だと思います。

 

どこまでを境界にするか、どこまで厳密に実践するかは各自の自由ですが、その選択をする明確な理由、ブレナイ哲学を持つことが重要だと思います。

私はお砂糖や化学物質は麻薬だと思っています。少しならいっかとは思いません。麻薬(中毒性)とは、一度身体に入るとそれがなくてはならないものと身体が認識してしまうことだそうです。ならば1gも入れたくありません。

 

動物は昔から人間は食べてきたという方もいますが、昔から食べてきた家畜や魚には抗生物質や成長ホルモンは使われていませんでした。釣られたお魚や銃で撃たれた野生の鳥や、役目を終えて食べられる家畜には、その人間に食べられる自然の摂理を受け入れ諦めることができていたと思います。食べられるために生まれ劣悪な環境で飼育されオートメーションで殺戮される状況とは精神状況やストレスが全く異なります。

 

私は三匹の猫を飼っていますので、動物を殺して食べるということは心理的に考えられません。

猫たちの一匹はとても狩が得意で毎週のように鳥やネズミ 等を捕獲して食べているようですが、そこに嫌悪感はありません。わが家の猫は捕えた獲物はしっかり完食しているらしく、羽毛が散在していることはあっても死骸を置き去りにしていたことはあまりありません。まるごと食べているなら摑まってしまった方も納得しているのではないかと思います。「肉食動物」とは彼らのような者をいうのだと納得しています。

そしてつくづく、我々人間は(特に多くの日本人には)動物を捕まえて食べる風習はほとんどなかったのではないかと感じます。

 

わが家の猫が外で狩りをしてくる話をすると、大概の人は驚き嫌悪感を表す方も少なくありません。しかしその方は大概お肉を好んで召し上がっています。そこに疑問を感じるのは私だけでしょうか??