過食症の対処法と治療

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コラム

過食症の対処法と治療

2019/11/06

過食症への対処と治療

食べたくないのに食べてしまう・・・

重症の鬱病の方が、今年前半は拒食だったけれど、下半期は過食症に転じてしまった。

食べれないときはあまり問題に思っていなかった。

身体が受け付けないのだから何日食べずとも「心配ない」と言いまくっていた。が、それがいけなかったと今は思う。

それは身体の症状ではなく、心の叫びだったことに気づく。

食べないことで心配してほしかった。どんどん痩せていった。体重が何キロになったと毎日報告された。

毎日薬をたくさん飲んでいたから、もう胃腸が受け付けないのだろう。絶食して胃腸が整ったら自然、食欲がわくはず、と一般の場合のように考えていた。

 

しかし彼女が求めていたのは、愛情であり、注目であり、承認であり、赤ちゃんのように寄り添われるケアだった。

お母様は当然心配をし、あれもこれもと彼女が好きそうなものを買い集めてはしきりに食べるよう勧めていた。いらないと、何も食べたくないと言いながらも食べ、そして胃の膨満感、不快症状をひっきりなしに訴える。苦しい、つらい、もう食べたくない、と言いながらも、不思議なまでに母親に逆らえない。そこへ私が割り込むわけにもゆかなかった。

 

そうしていたらいつのまにか今度は過食となり、パン、味噌、ドレッシング、おはぎ、お菓子、果物、そしてアイスまで、眼に入るものは全て食べつくしてしまうという状態になって今も続いている。

 

「過食症」という病名を聞いてはいたが、実態がこれほどまでとは知らなかった。

当然の消化不良、吐き気など過酷な苦しみに襲われるのだが、いくらそれを繰り返しても収まらず、

そして何を食べてしまったという報告が毎朝晩ラインで届く。

食べずにいられないならこれを食べたら?これだけにしたら?という提案をしたり、ブロッコリーを蒸し煮してもってきたりしたが、それを喜ぶ様子は全くない。「何も食べたくはない」のだと言う。

しかし帰宅するとまたとんでもない内容でとんでもない量を食べている。

 

意思とウラハラな行為には、説得も説明も怒っても代替え案も何も意味がないことに気が付いた私は、もう顔や首回り、頭部へのトリートメントで精神的なバランスをとっていくしかないと思った。

そしてもっとダイレクトな強い施術をもっと頻繁に受けてもらわなければならない、という治療家目線で考え始めた。

 

けれど、残念ながら本人はお金を払ってまで治療を受けるつもりはない。

ご家族も精神科、心療内科以外に治療や手立てはないと思っていた。

それ以外のケアは「治療」という絶対的信頼はないため、リフレクソロジーをやらせていただける許可は得られなかった。

フェイシャルリフレクソロジーを施したら、それも週二回のペースで規則的に頻繁にできたなら・・

そうした治療が効くことに確信はあったけれど、やはり本人が回復したい意識が非常に低いため、課金もできないし、来なくても咎められない。

そんな絶望感の中、Netを見ていたら、なんと、私の考えていた理屈をそのままに、合宿をして玄米菜食や講義や体操をする滞在型合宿施設を見つけました。

「心身リセット合宿 道場 和(やまと)」

そうだった。食べ物=お母さん=安全=安心=愛情 という連想が誰にでもある。

薬や何かの特別な技術などで一時的によくなったとしても、拒食症の改善はあくまで自分で学んで、今何の埋め合わせをしようとしているのかに気づかなければ何度でも戻ってしまう。

親のせい、母親のせい、小さいころのトラウマのせい・・ということは確かにありそうだと思う。食べ物はそれらの代替えなだけ。欲していないのに食べてしまうのもそう考えると納得できる。

けれども決して被害者意識のようなものを持ってはいけないと思う。

親たちとのコミュニケーション、彼女がほしい愛情が十分かけてもらえなかったとしても、

それが母親の精いっぱいだったと分かれば赦さなくては。

そして人生は自分のもの。誰のせいにしても変わらない。

だったら自分で乗り越えなくてはならない課題だと。

ぜひ合宿に行ってそこのところ学んできて、できればそのまま半年くらい(無料枠で)そこで過ごし、人生の目的に気づき、歩み方を思い出してほしいと願ってやみません。