置換手術Ⅲ いのちの超自立論
2020/11/21
いのちに贈る超自立論
すべてのからだは100点満点
今のからだが最高の適応状態
20年ほど前、安積遊歩さんの講演を聴き映画を観るというプログラムに出かけ、よいお話だったので著書を買って帰るも一読しただけで積みっぱなしにしていた。
あらためて読んで、彼女の持論は、ミケランジェロの哲学「Nature is Perfect」と同じだと理解できた。
彼女は骨形成不全症と診断され、幼いころより何度も骨折、金属を入れる補強術、抜釘という手術を医師の判断において繰り返されてきたそう。裸にされ。物か魚のように台に置かれ、見られ、男性医師や研修医等に容赦なく触れられ、いじくりまわされてきたと語っている。骨が曲がっているからと切断され、ボルトで留められた箇所は何か所にもなるらしい。
一回でも人生を変えた私の49歳から9年間の股関節体験を彼女は二歳の頃から何十回と繰り返し、ある時その抜釘をやめて金属を入れっぱなしにしたまま、その後は骨折しても手術は拒否することを決めた。
何が「形成不全」か!
それは、何かのモデルを正しい形と決め、それに対しこちらは不完全、間違っている、といった発想からの呼び方であって、この身体で生まれてきた者にとっては不全でもエラーでも何でもない!と言い切る。すべてのからだはそのままで100点満点なのだ。
(七歳で弁膜症と診断を受けたロイブラックとお母様にも伝えてあげたかった。彼にはその心臓が適切だった、あるいは克服する方法なら手術以外にあった・・)
遊歩さんのような重症例になると、手術のが失敗で寝たきりになってしまったり、亡くなる方も見てきたという。そんなあたるも八卦、当たらぬも八卦のような手術を「治療」と呼びその後の人生を台無しにしても医師だからと全く咎められないのもおかしい。
そんな医師たちが勧めたとしても私たちはとことん納得いくまで説明を求め、自分の意思でその「治療」や「手術」を選択できなくてはならない。
そして同じ傾向をもって生まれてきた娘の宇宙(そら)ちゃんには、自分と同じ屈辱や虐待による痛みを被ってほしくないとの思いから、ご自分の体験と意見を伝え、骨折しても家で自然回復をさせつつ、自立して生きるという意味を教えてきた。
医学的な診断名をもらわなくても私たちは皆「普通」ではない、「一般からはかなり欠けている」何かをもっている。それを気づかれないよう隠したり、毎日時間をかけてカバーしたりと色々な方法で努力対処していることと思うけど、同じ特徴を子供ももって生まれてきたと分かったとき、これだけ自分の体験を愛情で真っ直ぐに伝えられる人があろうか。
子供の幸福と素直さは親の愛情の見せ方や表現力にかかっていると感じた。
障害と言われるハンディや欠点とされてきた個性が子供に引き継がれるのは、こうして世代をまたいで理解や克服をしてゆく為なのだと私は常に思ってきたが、その具現化を私はこの本で見た。
彼女は自分が受けてきた虐待から「尊厳」と「自立」の意味を深く考察し続け、育児の中で悩みながら、宇宙ちゃんに全霊で引き継いだ。自立とは、多くの人のイメージは経済的な独立とか、人に迷惑をかけないなどの意味かもしれないが、人間レベルで気持ちよく生きるために納得して選択すること、その自由を行使できることが何よりも大事と言っている
必要なら生活保護を受けても、排泄や移動に際し介添え人の手を四六時中借りたってそれは自立のための権利の一つ
どう生きたいか、医療でも外出でも何かのサポートでも、それがどんな意味がありどんなメリットがあり、するリスクしないリスクはどんなことがあるかを遠慮なく対等に聞けたうえで、やるかやらないか、してほしいかほしくないかの意思決定は自分で行うという自立。
それができなかった従軍慰安婦や森の動物たちや、子供たち、まだ生まれる前に命の選別にあわされている胎児や受精卵といった声を出せない生命たちへの虐待に心を寄せ、代弁している。
政府は人工授精にお金を補助するよりも、生まれる命、生きる命の尊さに補助金を使い、人々は自分の稼ぎを一円でもあげることより、そばで求める人、声をあげれない生き物に気持ちを向けた方がどんなに豊かに生きられることだろう。
遊歩さんの本は親子の関係性についても新しい視点を与えてくれた。
親や子供との関係で悩んでいる人、ストレスや重荷になっている人はとても多く驚いているが、遊歩さんによると、そこに生まれたから母娘なのではなくて、努力して母娘になってゆくのだとのこと。
あなたは親として、お子さんにとって一番大切なものをあげられましたか?
逆に、親からは、自分が一番ほしいものをもらえなかった人も多い事でしょう。それはご両親があまり自分を愛してくれなかったということでしょうか?