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<title>東京のリフレクソロジーサロンのブログページもぜひご覧ください</title>
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<description>東京のリフレクソロジーサロン・Salon Mathemataでは、常にお客様一人ひとりに寄り添った対応を徹底し、高品質な施術を行うことで高い効果を実感していただけるよう努めております。施術を通じて地域の方々をはじめとする多くのお客様の健康な生活をサポートし、体本来の力を取り戻すお手伝いをいたします。施術についてはブログでもご紹介していきたいと考えておりますので、ぜひ東京のリフレクソロジーサロンをご利用ください。</description>
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<title>ヴィーガン　試食会　堀切</title>
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ヴィーガンって何食べてるの？堀切菖蒲園から徒歩五分、交差点に不似合いにひっそりとたたずむ黄色の壁のコトリカフェにて、「ヴィーガン試食会」を三回開催し、計１１人の方にお弁当を試食していただきました。今日のメニューは空豆コロッケ、新玉と高野豆腐のマスタード煮込み、カブサラダ、ひじきごはん、そしてデザートにお豆腐のテリーヌ（サツマイモ＆リンゴ入り）でした。前回の二回は「ヴィーガンって知らなかった」「言葉だけ」という方が大半でしたが、三回目の昨日は「夫が潰瘍性大腸炎で菜食により寛解中だが子供たちの食事に悩み中」「４歳のお子さんが不治（？）の皮膚病のため食事改善模索中」「自分にも環境問題の為にも移行していきたいが」など、真剣な状況ながらも実践するにはまだまだ情報が足りない、いや、はびこり過ぎる情報からの選択と決断が困難な様子が感じられました。やはり私たちを一番真剣にさせるのは子育てと子供の病気であり、母親はそれを深刻にうけとめているものの、実践のノウハウを指導補助できる体制や仲間が足りなすぎる現状に心が痛みます。ただ、菜食がよさそう、ナス科はよくないという説、などを得てついてやってみようと決意さえするなら、具体的レシピや健康、回復、環境問題、動物たちを殺さずに、など心理的にも、現在の台所においてもなんら問題はないはずなのに、なぜか完全には踏み込めない皆様・・私だったら迷わなかったけどナとてもとても困っていたから。少しでも解決に向かうなら、その可能性があるなら、躊躇する理由はなかった。得体のしれないものを食べろとか、高価な食材を買えといっているのではない得体のしれないものを食べるな、減食しろと言っているだけなのに、悩む理由は何？日本人の場合、マイノリティーになることをとても恐れるマインドが強い。お友達から、親戚からどう思われるか、何か言われた時、自信をもって理由を応えられる心の準備が整わないと、二の足を踏む。そんな人が大勢いて、この国は医療に頼り、薬の世界最大の消費国として君臨し久しい。。「この病気は治りません」と言われるような病院へなぜ行くのか、よくないと分かっているステロイドをなぜ本人が選択できない４歳に与えるのか・・・(>_<)それほど肉や魚を食べないことは怖いのか？？お母さん！覚醒してください！わたしでは頼りないかもしれないけど思いっきりサポートしますから！あなたのお気持ち手に取るようにわかりますから！ぜひぜひ心の声に従い、ポジティブな意識をもって進みましょう！
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20210528074326/</link>
<pubDate>Fri, 28 May 2021 07:43:00 +0900</pubDate>
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<title>糖尿病になるわけ</title>
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猫の糖尿病より数年お付き合いの続いているお客様が以前飼っていた猫の話になった。二匹の兄弟を飼っていて、一匹は１７歳の大往生だったとのこと。もう一匹は？「それが、、わずか一歳で糖尿病になり、数年インシュリン注射をし他界」したとのこと・・同じ遺伝子をもち同じ環境ですごした二匹の片方だけ糖尿病、それも若年で？何か違いがあったのではないですか？と問うと・・・ありました「そういえば、そっちの猫ちゃんはマグロの赤身が好物でよく食べてた。もう一匹は食べなかった」ハイ！それに間違いありません！(>_<)本来急激に酸化し腐敗するはずの赤身肉、いつまでもおいしそうな色が変色しないことの不審を、この猫ちゃんは教えてくれていました。。毎日インシュリンなど注射しなくても、赤身を与えなければよいだけのことだったかもしれません。。
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201221120905/</link>
<pubDate>Mon, 21 Dec 2020 12:09:00 +0900</pubDate>
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<title>いのちの超自立論</title>
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すべてのからだは１００点満点２０年ほど前、安積遊歩さんの講演を聴き映画を観るというプログラムに出かけ、よいお話だったので著書を買って帰るも一読しただけで積みっぱなしにしていた。あらためて読んで、彼女の持論は、ミケランジェロの哲学「NatureisPerfect」と同じだと理解できた。彼女は骨形成不全症と診断され、幼いころより何度も骨折、金属を入れる補強術、抜釘という手術を医師の判断において繰り返されてきたそう。裸にされ。物か魚のように台に置かれ、見られ、男性医師や研修医等に容赦なく触れられ、いじくりまわされてきたと語っている。骨が曲がっているからと切断され、ボルトで留められた箇所は何か所にもなるらしい。一回でも人生を変えた私の４９歳から９年間の股関節体験を彼女は二歳の頃から何十回と繰り返し、ある時その抜釘をやめて金属を入れっぱなしにしたまま、その後は骨折しても手術は拒否することを決めた。何が「形成不全」か！それは、何かのモデルを正しい形と決め、それに対しこちらは不完全、間違っている、といった発想からの呼び方であって、この身体で生まれてきた者にとっては不全でもエラーでも何でもない！と言い切る。すべてのからだはそのままで１００点満点なのだ。（七歳で弁膜症と診断を受けたロイブラックとお母様にも伝えてあげたかった。彼にはその心臓が適切だった、あるいは克服する方法なら手術以外にあった・・）遊歩さんのような重症例になると、手術のが失敗で寝たきりになってしまったり、亡くなる方も見てきたという。そんなあたるも八卦、当たらぬも八卦のような手術を「治療」と呼びその後の人生を台無しにしても医師だからと全く咎められないのもおかしい。そんな医師たちが勧めたとしても私たちはとことん納得いくまで説明を求め、自分の意思でその「治療」や「手術」を選択できなくてはならない。そして同じ傾向をもって生まれてきた娘の宇宙（そら）ちゃんには、自分と同じ屈辱や虐待による痛みを被ってほしくないとの思いから、ご自分の体験と意見を伝え、骨折しても家で自然回復をさせつつ、自立して生きるという意味を教えてきた。医学的な診断名をもらわなくても私たちは皆「普通」ではない、「一般からはかなり欠けている」何かをもっている。それを気づかれないよう隠したり、毎日時間をかけてカバーしたりと色々な方法で努力対処していることと思うけど、同じ特徴を子供ももって生まれてきたと分かったとき、これだけ自分の体験を愛情で真っ直ぐに伝えられる人があろうか。子供の幸福と素直さは親の愛情の見せ方や表現力にかかっていると感じた。障害と言われるハンディや欠点とされてきた個性が子供に引き継がれるのは、こうして世代をまたいで理解や克服をしてゆく為なのだと私は常に思ってきたが、その具現化を私はこの本で見た。彼女は自分が受けてきた虐待から「尊厳」と「自立」の意味を深く考察し続け、育児の中で悩みながら、宇宙ちゃんに全霊で引き継いだ。自立とは、多くの人のイメージは経済的な独立とか、人に迷惑をかけないなどの意味かもしれないが、人間レベルで気持ちよく生きるために納得して選択すること、その自由を行使できることが何よりも大事と言っている必要なら生活保護を受けても、排泄や移動に際し介添え人の手を四六時中借りたってそれは自立のための権利の一つどう生きたいか、医療でも外出でも何かのサポートでも、それがどんな意味がありどんなメリットがあり、するリスクしないリスクはどんなことがあるかを遠慮なく対等に聞けたうえで、やるかやらないか、してほしいかほしくないかの意思決定は自分で行うという自立。それができなかった従軍慰安婦や森の動物たちや、子供たち、まだ生まれる前に命の選別にあわされている胎児や受精卵といった声を出せない生命たちへの虐待に心を寄せ、代弁している。政府は人工授精にお金を補助するよりも、生まれる命、生きる命の尊さに補助金を使い、人々は自分の稼ぎを一円でもあげることより、そばで求める人、声をあげれない生き物に気持ちを向けた方がどんなに豊かに生きられることだろう。遊歩さんの本は親子の関係性についても新しい視点を与えてくれた。親や子供との関係で悩んでいる人、ストレスや重荷になっている人はとても多く驚いているが、遊歩さんによると、そこに生まれたから母娘なのではなくて、努力して母娘になってゆくのだとのこと。あなたは親として、お子さんにとって一番大切なものをあげられましたか？逆に、親からは、自分が一番ほしいものをもらえなかった人も多い事でしょう。それはご両親があまり自分を愛してくれなかったということでしょうか？
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201121145649/</link>
<pubDate>Sat, 21 Nov 2020 14:56:00 +0900</pubDate>
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<title>股関節骨折→壊死　体験記</title>
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私の体験記そういえば私も９年前、大腿骨の頸部を骨折し、骨髄部分にチタンの人工骨を差し込む手術を受けていた。翌年壊死と診断され、杖なしには歩けない時期が二年間あった。前日ふわっと積もった雪が薄く凍りついた早朝の道路、帰りは解けそうと軽く見た私はいつものチャリ通勤をして三回大転倒し、三回目はピクリとも動けなくなった。両大腿骨つまり太ももの骨は、付根部分が頸部といって内側に折れ、先端が球状になって骨盤にはまり、いわゆる股関節を形成している。股関節や大腿骨骨折といえば大概この頸部にひびが入ったり、完全にくの字に折れてしまっているようである。即手術と言われて承諾しかね、ストレッチタクシーを呼んで一旦家に帰ったものの、手術せずに対応してくれる施設は探せず、微動するにも激痛で、在宅では為すすべもなく四日後観念した。その他の部位と違ってギプスで固定もできないし、動かさずに過ごすことも不可能。昔なら、ずれた骨をエイと引っ張って戻らないようにおもりをぶら下げて骨がくっつくまで３～４か月安静に待ったそうだが、その間脂汗ものの激痛らしく時間もかかるため、現在やってくれる病院も整骨院もまずない。(後日、山梨に一件あったことを知った。。）現在の手術は股関節に近い太ももに三か所、メスだけ入れるための切開をし、ブラインド操作でくの字に折れている骨をチタンボルトで固定する。患部が固定されると痛みも減って翌日からリハビリ開始、日ごと回復を実感する快適な入院生活を二か月送り、三か月目から職場復帰した。なかなかスムーズな歩きができないのは筋肉が落ちたからということだったので、退勤後もできうる限り毎日トレーニングジムに通った。しかし直径１cm以上、長さ１８cmの重たい金属が、大腿骨の本来骨髄が詰まっている空洞に（スペアリブの液状部分を押しのけて）ズボリと刺さっている状態でリハビリに励んでいたらどうなるか？そのまま回復し、一生チタンを埋め込んだまま問題ない人も５０％いると聞き楽観していたが、結果は悪い方の５０％に入ってしまった。元通りに回復すると信じていた私はすぐにまた自転車通勤を再開していたが、今思うとまずは歩くという基本から順に整えていくべきだった。ペダルをこぐという動作は歩く筋力や骨格への負荷とは違い、骨頭を再形成する刺激にならなかったのだと思う。軟骨はすり減ってミシミシと痛みだし、まるものがなければ歩けなくなり日ごと悪化していった。骨盤の窪みにハマっていた大腿骨の骨頭球部は壊死によって半球状に潰れ、クッションである軟骨が摩耗したため神経に触れ始めたのだった。今ならよくわかる。私は元々あまり身体を鍛えてこなかったので骨も細目、筋肉も少なめ、ボルトで血流が阻止された股関節は積極的なリハビリには耐えられなかったのである。血液そのものの活力には自信があったが、骨も骨髄洞も細いために、チタン棒が入ると栄養を運ぶ流れはせき止められていたと想像できる。リハビリで筋肉をつけ早く歩けるようになりたい一心の私は、そんな虚血状態の足でかつてしたことがないほどトレーニングに励んだが、組織は身を削って耐え忍んだ、もしくは「やめてくれ～」と叫びをあげたともいえる。骨頭壊死により人工股関節への置換手術が必要と診断されてしまった。まだまれば歩けていたが「間もなく軟骨がなくなれば明日にも激痛で歩けなくなる」と、私は緊急手術にリスティングされた。躊躇する間もなく手術日が決まり、金属アレルギーテストや、自己輸血の準備など進められた。人工関節になると身体障碍者4級となるのでその申請手続きや公的助成についての説明を受け、その流れに抗えなかった。まだ歩けて筋肉が落ちないうちに人工関節を入れてしまった方が経過がよいとのことだった。「目を覚ませ」幸いにも偶然にも、手術予定日までの短い期間中、私は師匠であるミケランジェロ・キエッキのリフレクソロジーやボディトリートメントをもともと予約していた。手術は絶対に反対されるだろうが、今後自立して生活するためには必要と私は腹を決めていたので、師匠には内緒にするつもりでいた。トリートメントも足のみとし、背中のバッチテストは見せないよう意識していた。が、大師匠というのは時にするどい感が働くものらしい。結果的にはありがたかったのだが、私の隠し事を見抜いたかのように、背中に貼られていた術前検査であるアレルギーテストの絆創膏に気づかれてしまった。「自分の身体が信じられないか？自然が信じられないか？」と声を大にして説得された。泣きたかった。だって手術しないと激痛となって一生歩けないと医者は断言している・・(´;ω;｀)ミケランジェロ先生に師事してから8年目くらいだったが、いつも「自分で決めなさい」が口癖で、骨折した直後も何も指示はしてくれなかったから私は精一杯考えた末、入院して手術を受ける決断に至ったのだった。しかし師匠は、2度目は看過できないとばかりに激しく私を諭した。だったら最初から病院へいかない方法を促してくれればとも思ったが、労災の適用だの、立てない間の日常生活だの、完全に自然治癒に委ねると一切補償がない。全く病院へ行かないという選択も現実的ではなかった。しかし人工股関節置換となれば、事態は取り返しがつかない。なぜなら、人工股関節に置き換えるということは、まだ残っている自分の骨頭部分を頸部からブッツリと切断して破棄し、チタンで作られた人工の骨頭部分をそこに付け替えてしまうことなのだから。師匠の大反対にあってまた幾晩か悩みに悩んだけれど、「NatureisPerfect－自然は完璧ー」という氏の哲学、大原則を人生の指標に８年間師事してきた自分を否定するわけにもいかない。人工物ではなく自分の組織の復活を信じることにし、私は担当医に「2回目の手術は当初入れたチタンボルトを抜くだけにしてほしい」と直接電話をかけた。医師にとってこんな申し出を受けるのは初めてのこと、「抜いたとたんに骨が崩れ、全く立てなくなるか、結局改めての埋込手術が必要になる可能性が高いよ」と再三覚悟のほどを確認されたが、私の決意が硬いと判断し了承してくれた。日産玉川病院の小川先生。そして医長は日本の股関節の最高権威の松原先生だったことも私には幸運だったと思う。結局そんな怖い結果にはならなかった。今思えば、ボルトを抜いて崩れてしまうような骨なら、人工股関節だって定着して機能できるはずがないではないか。（恐怖があるときは普通に考えられなかったが）チタンボルトを抜いた私の大腿骨はやっとつっかえ棒がとれ清々したように血流を回復し、痛みもなく日に日にリハビリの成果が出たが、杖なしで歩けるようになるまでにはそれから二年もかかった。現在も側弯と少々のﾋﾞｯｺは残っている。が、まだまだ回復途上だと思っている。チタンが骨髄を塞いでいた状態ではリハビリに励んでも虚血（酸素不足）だから筋力や柔軟性に繋がらず、組織は省エネのために自殺するしかなかったのだと、今なら「壊死」という生命の選択を理解できる。そして心臓には部分的壊死のような「リーチ」段階はない
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201118135539/</link>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2020 13:55:00 +0900</pubDate>
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<title>弁膜症の手術をするということ</title>
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心臓弁置換∮第二次世界大戦から復興し大国と言われる国では平和を取り戻しながらも、世界ではベトナム戦争や独立戦争、数々の内戦が続いていた１９６０年代から91年、ドイツの国民的歌手で、老若男女から愛されたロイ・ブラックについて本を著し、自費出版された木下秀子さんにお会いした。彼女は最初YouTubeで彼の歌を聴いて心まれ、どんな人かと調べるも日本語の資料が一切なかったとのこと。ドイツ雑誌の人気投票で４年間もトップに君臨していたロイ・ブラックは、ビートルズやプレスリーなどの世代で、当時の日本は誰もが洋楽に熱狂していた時代だったが、ドイツが敗戦国だったゆえなのか、その声もメロディも全く日本に流れなかったらしい。亡くなって二十年の時を経、ヨーロッパ叙事詩が好きで、ギターの弾き語りもしていた秀子さんに偶然引き寄せられた。まだまだ現役でいてくれたなら、この甘いルックスと声は大いに日本でも人気を得たことは間違いないと思う。しかし４８歳という若さで既に他界し、ドイツ以外ではほとんど知られていないことをとても残念に感じた彼女は、自分が日本に紹介しようと決意。五十代半ばにしてドイツ語を学び、何度も渡独して後援者達と交流し、ついに発刊を実現するに至った。ぜひとも多くの日本人に聴かせたいという彼女の思いと、ベルベットのようと形容される神秘的で伸びやかな声に、当然ながら私も感銘した。一聴で衝撃を受けた彼女とは違い、私は色々な彼のライブを見ているうち、２０年以上の歌手人生で変わらないピュアな眼差しや表情に夜ごと惹き込まれた。素敵な歌声やハンサムな笑顔に悩殺されたことは否めないが、その歌にはとても愛があった。幼いころからの夢をかなえ、幅広く全国民に愛され、その愛に応える歌を歌いながら、なせ彼は四十代で人生を終えなければならなかったのか？（大スターでは珍しくはないけれど・・）故人が伝えてくれているメッセージを遺された私たちは受け取らなくてはならないと思う。手術という治療について秀子さんの本によるとロイ・ブラックは七歳で心臓弁膜症と診断され、生涯病との闘いだったとある。以来ずっと服薬を続けつつ何度か手術を受けてきたようである。弁膜症とは、心臓で血液が逆流しないよう開閉している弁の機能が不全な状態の総称。そんな大雑把な病名でくくっているあたり、つまりはどんな理由でしっかり閉じれなくなっているかの精査、追求よりも、人工的によりよい弁を作ってはめ込むことを最終的な解決法と医学は考えている（ように私には感じられる）人工弁への置換とは、人間の組織に近いとされているブタの生体弁、またはチタン製の機械弁を手術、もしくはカテーテルで挿入される。ロイブラックも最終的にはチタンが胸に入っていたようである。生体弁は三か月もすれば体内で融合し（徐々に自己組織が再生し置き換わっていくため）抗凝固剤は不要になると医学書には書かれているが（実際は不明）、チタンの場合は異物反応で血液が固まらないよう生涯服薬しなければならない。薬が身体の生理に及ぼす影響は多々あり、ちょっと怪我をしても歯を治療しても血液が固まりにくく止血しにくいなどのハンディや恐怖感を伴う。私の知人に３０代で脳出血で亡くなった方がいるが、彼も心臓の手術後抗凝固剤を服用していた。副作用自体で時には命を奪われることに医学はあまり気をとめていないような気がする。いやそもそも！服薬どうこうより普通に考えてみれば、心臓の中に金属が入っているなんて、もとより何らかのハンディがある方ならば余計負担になるのではないだろうか？手術を受けることを承諾する方々は、この点よーく説明を聞いて熟慮したうえで決意しているのか？まさかまさか、自分の身体のことなのによく考えることもなく「先生にお任せします」と言っていないだろうか？ー次回につづくー2020/11/12置換手術Ⅰ2020/10/21逆子の経腟分娩2020/10/13寿命Ⅱ
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201112091933/</link>
<pubDate>Thu, 12 Nov 2020 09:19:00 +0900</pubDate>
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<title>逆子の経腟分娩</title>
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自然分娩はそんなにリスキーか？一番のハイリスクは恐怖感整骨院にいらした11月出産予定の患者様が逆子で困惑中。５８歳の私にとって驚く響きではない。数年に一度は周囲で耳にする。そもそも赤ん坊は羊水の中でグルングルンと回転しながら遊んでいるのだから妊娠覗くタイミングによっては誰しもが逆子的位置づけでいるわけで、妊娠中期までは半分くらいの確率で見られるし、３０週でも１８％、そのまま出産を迎える人は５％というから、徐々に徐々に下を向いている時間が増えてくるとはいえ、３８週と言っても２４時間頭を下にして固定されてるはずがない。それを出産予定日がまだ一か月以上も先だというのに異常とか稀なことのように伝える医療もおかしいし、ビクつくような事象ではないことをプレママたちはどうか知ってほしい。「赤ちゃんがその姿勢が楽と感じているんだ」と写真の本で吉村院長（元）は言っている。逆子のまま生まれたって９７％は自然分娩で元気に生まれている、とも。どんなことにもこの程度の例外というかマイナーケースはあることを大人なら知っている。ましてや逆子ゆえに死産や後遺障害という話も聞いたことはない。どんなに医療や衛生設備が整っても文明が進歩しても古今東西、お産の約３％はなんらかの異常事態が起こる。残念ながら母子もしくはいずれかの命を落とすケースは一定割合生じている。パートナーを見つけるまで、受精するまで、着床するまで、そして妊娠しても安定するまで、そして後期まで妊娠を継続するというプロセスは決して当たり前に進む流れではない。各々生物的弱点がある中で、どうしてもその先へ進むため、考え方や生活様式を変え、努力しながら各自リスクを乗り越え次のステップへと進んでいくのが人生。お産だからといって医療に任せきりでは失敗しても学べないし、今回は無事進めてもいずれは自分で乗り超えなければならない壁につきあたる。日本人はどうしてこうもマイノリティを恐れるのだろうか？その子にしかない個性を大切に、と言いながら、現実は多数派に属させよう、多数派にいれば間違っていても安心する風潮が根強い。しかしお産の千差万別を知り、それがその子の個性とみてあげられると、その後どんなマイノリティとなっても自然に受け入れられると思うのだが、そのお産の現場ですでに各々の赤ちゃんの出てきたいタイミングや胎位まで一定パターンに収めようとしている。かくいう私の出産でも、赤ん坊が300０ｇを超え、予定日を過ぎた時点で入院、全く兆候もないままに陣痛促進剤を点滴、風船を入れて強引に破水、それでも子宮口が半分しか開かないというのに微弱陣痛のまま分娩台に乗らされ、会陰と子宮まで切開をして子供の頭を引っ張り出してしまった。恐らくまだ１、二週間は子宮で寝ていたかったであろう我が子はこうして無理やり突然な出生を余儀なくされたわけで、その影響は、その後ずっと後をひいた。保育園には行きたくない、学校も勉強も、習い事も、学校行事、あらゆるイベントも、とにかく大人が段取りしたものはことごとく拒否である。初めてのことにはとにかく身構え、やりたくない、できれば家にいたいという心理がいつも働く子になってしまった。私自身は新しい事、初めての体験が大好きな為、子供にも大いにその機会を与え、たっぷりの好奇心を沸かせ満たしてあげたかった。のに、スイミングでもスキー教室でも首に縄をつけるかのようにして引きずって行かなればならず、あるいはお金を払ったのに泣く泣くキャンセルということも多かった。彼の意向を聞かずして強引かつ不自然な人生の幕開けを展開したことに起因しているように思えてならない。。さて、話を逆子に戻す。若くして人生の一大事に臨む妊婦が不安になるのは仕方ないとしても、私たち周囲は、ましてや専門家はその不安を払拭し、人生最高のイベントとエクスタシーを楽しみに迎えるサポートをしなくてはならない。出産能力を失ってからなお数十年と生きる動物は人間だけだそうである。なぜ？ジャレド・ダイヤモンド博士は、生活圏内に閉経後の女性や高齢者の割合が多ければ多いほど、その民族の文化水準は高いと言っている。つまり、もう子を産まない女性や一線を退いた男性は若い世代の子育てや社会生活をサポートし、集団の知性と発展の為に存在しているのだと言える。また、多くの高齢者に接し見守られて育った子供は、両親や保育士や若い世代の中でのみ管理教育された子供より情緒豊かで温厚で思いやりを備えている・・と感じるのは私だけではないはず。高齢者のいる環境は子供にとってもその親たちにとっても本当はとても心強いことであり、教えを請い敬い、そして大事にし労わる文化こそ高い水準へと進化する鍵だと思う。現役の若い医者や助産師の言葉より、９０歳のおばあちゃんに「大丈夫、心配ないよ」と言われたら、一番安心ではないか？しかしながら今時は統計でリスクが語られるようになっている。いくら心配ないと言ってあげたくても、「じゃあ３％はどうなるの？」というわずかな割合のリスクに、不安な人は着目してしまう。何事１００％ということはないのだし、実際過去には発生している死産、難産、窒息、後遺症・・の可能性がたとえ数パーセントでもあるならそれは受け入れられない・・そう考える気持ちにかける言葉はない。「大丈夫だと思うよ」「そんなに気にすることない」と言うのは、単なる気休めや楽観とも少し違っている。逆子でなくても数日に及ぶ難産もあれば、へその緒が巻き付いての窒息など不測の事態はありうる。そして逆子でも大量出血があっても足からスルリと生まれてきたという話も決してめずらしくはない（左の本など参考にされたい）。結果に大きく作用するのは、赤ちゃんの位置などよりも、お母さんの不安と恐怖、迷い、いわゆるマインドなのだと私は確信をもって言える。運動会で「一等賞をとるぞ！」と一心不乱に全力で駆け抜いた子供と、「転んでけがをしたらどうしよう、骨折した人もいたらしい、やめようかな」などと不安や迷う気持ちを持ちながら走った子供、どちらが怪我をするか、という問いにも似ているのではないだろうか。前者でも転んで怪我をする子はいるだろうし、後者でも見事一位でゴールを切る子がいるかもしれない。しかし私はそんなリスクや統計なんか気にするなと言いたい。本当に怪我をしたくないなら、日頃からよく駆けっこしたり準備体操や練習をしておけばリスクが少なく、よい結果につながる可能性は高いけど、実際は当日のコンデションや緊張感などにも大いに左右される、それを受けいれなくて何の楽しみがあろうか？準備しても負け、警戒してもハプニングはあり、それを楽しみながら経験を積み、学び成長していくのが人生なのである。５８歳、一応健康には問題なく子育てを終えた私が、臨月を逆子で迎えた二十代の妊婦さんに「大丈夫」と声をかけたところで何の足しにもならなさそうなので、直接伝えるのはやめ、このコラムにしたためることにした。あと数日赤ちゃんが「多数派」の胎位にならなければ、おかかりの医院では帝王切開になるという。正直私、それはとてもとても残念でたまらない。産院を変えたら？とすらマジで思う。赤ちゃんは何の異常もなく、温かい羊水の中で来月の出産へむけて最後の準備をしているところである。担当医が予測した出産予定日とは別に、赤ちゃんなりに身体を整え月のリズムなどの自然環境と最善なタイミングを相談しながら、お母さんと呼吸を合わせ、産道という尊い道を通って対面し抱かれおっぱいを吸いに行く日をシュミレーションしドキドキしながら日々過ごしている。その赤ちゃんの意思を全く無視し、ある日突然メスでお腹から子宮を切開し、眠っている赤ちゃんを取り出して、お母さんと連結しているへその尾を切断する（生理的に準備されていないので拍動があり、血液が噴き出す）なんてことを承諾してよいのでしょうか？帝王切開を承諾するお母さん達は、赤ちゃんの誕生の仕方がどんなに大切なことか、その意味と、これからの人生にどれだけ大きな影響を与えることになるか十分わかっているでしょうか？わかってもわからなくても、お母さんが当日を不安と恐怖いっぱいな思いで迎えるとしたら、赤ちゃんも当然、生まれるのが怖くなってしまいます。家族みんなが本当に自分を待って歓迎してくれるのか、お母さんは楽しみにしてくれていないのではないのか不安になりながら、自分の意思とは関係なく突然決められたその日に、いきなりまぶしい手術台の強い光にさらされることになります。そんな人生の幕開けの日、唯一の頼りのお母さんは麻酔で眠っており、この世で最初に接する手が医師や看護師のゴム手袋になってもよいですか？
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201021123557/</link>
<pubDate>Wed, 21 Oct 2020 12:35:00 +0900</pubDate>
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<title>寿命Ⅱ</title>
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人の寿命は病気や環境によって決まるのではない生き方は選べないこれは衝撃だった。いつ、何で読んだのか、メディアやセミナーで聞いたのだったかは覚えていない。私たちがどんなに身体を大事にしてもしなくても、細胞分裂の回数がDNAにプログラムされていて、その回数を終えると心臓は止まりいわゆる寿命を迎えるそう。とそれは何となくそうだろうとは思っていたが、驚いたのは、魚や両生類や爬虫類はそうではなかった、つまり彼らには老化や寿命というプログラムはないらしい。考えてみれば、大きい魚、大きな亀やカエル、ワニ等はたぶん、小さいそれらより長生きしているはずだが、鳥や哺乳類のように老化というか、経年的な変化は見られない。食用としての鶏肉は若鳥（というか成長しきらない子供）が好まれ、親鳥となると肉が筋張ってきてあまりおいしくはなくなるが、魚の場合、大きければ大きいほど美味しくなり、老魚という概念はない。釣り人と沼の主たる大魚が何十年と対決し続ける話があるけど、人間は老齢になってゆくのに、魚が老いたり釣られないまま死んでしまっていたりはしないのか？と私は疑問を感じていた。が、彼らは捕食者に食べられるか、別な衝撃を受けるか、あるいは産卵や餌がなくてエネルギー尽きるなどの物理的要因でしか命を終えない。逆に言うと、彼らは誰かの餌として存在し、生存できない環境にならない限りは何者かに食べられる運命なのである。そしてもう一度逆に考えてみると、上記のようではない私たち哺乳類と鳥類だけが、どんな生き方をするかで細胞分裂後の身体が影響を受け、その回数を重ねるごとに経年変化が起こり、新陳代謝も省エネ化などしながら、定められた回数がくれば終了する。しかし決まっているのは分裂回数だけなので、細胞の使い方、新陳代謝にかかる負荷や、新しい細胞を作るために取り込む食事や作られる血液によって、生命活動の質、怪我や病気の損傷や回復、経年劣化の具合など大いに変わり得る。一つの個体として変化に富んだ一生を送ると同時に、同じ環境で生まれても生き方の選択によって随分と個体差が発生しうる。それは生命なら、あるいは動物なら当たり前だと思っていたけれど、哺乳類や鳥類だけの特権であって、魚類、爬虫類、両生類には彼らの生命の長さや質をコントロールする術も違いもない。天敵の捕獲からどれだけ速足で逃げ切れるか否かの差は少しあるにしても、それで精いっぱいであり、たまたま気候がよく天敵がいなければどんな亀でもカエルでも長生きし、網にかかれば年長魚も稚魚もそれまでの命なのである。「どうせ誰でもいつかは死ぬんだ」とか、「どんな物を食べてたって長生きするわけでもないじゃないか」なんていう人がいるけど、それは寿命という時間だけで言えばそうだけれど、同じ長さの人生をどう生きたか、という質はまるで違っていることにお気づきだろうか？どうせ、とか、食べ物の選択をせずに寿命を迎える人の死因は恐らく病気である。血管内にコレステロールがこびりつき細胞の新陳代謝が衰えて全身ボロボロになっても、プログラムされた細胞分裂がまだまだ続く限り、痛みをこらえたり、生活の制限を余儀なくされたり寝食や呼吸まで助けられながら日々を懸命に生き、晩年は多くの時間を病院や介護施設で過ごしながら意識混濁のうちに終焉を迎える方がほとんど。病で亡くなる方が９９％と言われます。が、病ではなく元気なまま寿命を満了して亡くなる方はというと、、全身の細胞分裂の回数が連動して衰えてゆくため、おそらく１年前、１か月前、１週間前に本人は気づき始めます。なので１年前には行きたいところを訪ねたり、会いたい人に会う計画を立てるでしょう。風景の美しさを思い出と共に感慨深く見納めることでしょう。そして１か月前は身の回りの整理やご家族たちに伝えるべきことをそれとなく伝えることでしょう。決して寿命が迫っていることは言いません。変わらぬ１か月を穏やかに過ごしたいからです。１週間前には身体の準備を始めます。もう栄養供給は必要ありませんから食欲はなくなります。もう食べることへの執着も残念さもありません。３日前からはお茶も水分も欲しくなくなるそうです。細胞が段々水分を失って枯れていきます。体内の水分が５５％を切ると、脳内にはエンドルフィンだったか、ランナーズハイと同じような朦朧として明るい気持ちになるホルモンが湧き出すと共に、痛みや悲しさなどの感覚は麻痺しつつ昏睡、そして徐々に徐々に呼吸と心肺が停止します。本当の老衰とはまるで木から葉っぱが落ちるように自然の風景の一コマのよう、なのです。私たちは誕生の仕方は選べませんでした。本当は自分の心の準備が整ったタイミングで満月に導かれ、家でお母さんと息を合わせ生まれてきたかった。けれども大概は家族と離れ、病院に向かわれ、自分の意思を確認してもらうまでもなく母は恐怖のうちに医療者の指示に従い、無機質な寒い部屋で生まれてきました。すぐ母に抱かれ、おっぱいに触れて安心したかったのに、知らない手でお湯にくぐらされたり、痛いタオルでこすられたりしてからやっと母の胸に乗りました。いえ、一晩、二晩と母に会えず不安な人生の幕開けをした赤ちゃんも多数いたことでしょう。しかしどんな風に死を迎えるかは自分でプロデュースしたいと思いませんか？どんな風に死ぬかは、どんな風に生きてきたかの延長戦上にあります。終わりよければすべてよしという諺は、人生そのもののことを言っている気がします。
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201013182733/</link>
<pubDate>Tue, 13 Oct 2020 18:27:00 +0900</pubDate>
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<title>寿命</title>
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生き方によって死に方が決まる地元の内科医院で医療事務のアルバイトをしている。８０歳代後半の患者さんも多く、世界屈指の長寿国日本、平均寿命女性８７歳を実感する。若くして亡くなる人も決して少なくはないのだから、９０歳代のご高齢者はたくさんいらっしゃる。しかしせっかくご長寿を迎えていらっしゃるこの方々の叡智を私たちはあまり享受しておらず、学ぶより介護、尊敬より足手まといな扱い方をしているように思われて残念でならない。各家庭ではわからないけれど、少なくとも社会ではとてもそう感じる。お年寄りも生きがいを、運動し身体を動かしましょう、等と言うとき、保育園児のように接していないだろうか？そういえば、以前友人と寿命について雑談したことがあり「あの時の話、もう一度詳しく教えて」とラインが来た。のでそれは次号に詳しく・・
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20201002131246/</link>
<pubDate>Fri, 02 Oct 2020 13:12:00 +0900</pubDate>
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<title>ファスティングのすすめ</title>
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疲れた胃腸の回復に９月は最適コロナ禍で営業自粛の間、ホームページをリニューアルしました。しばらくブログお休みしてしまいましたが、また張り切って再開したいと思います。私は毎年この時期、ぶどうダイエットを実施しています。ぶどうダイエットとは、朝昼夜の食事全て、ぶどうだけを食べ続ける食餌法です。りんごダイエット、バナナダイエットなども一時期はやりましたが、同じ原理です。シンプルな食事は消化もシンプルになり、代謝や排泄がされやすくなるのです。ぶどうダイエットが流行らなかったのは一時期しか出回らないことと、それも高価だからでしょう。小さいころから何でも残さず食べるようしつけられ、バランスよく食べることが大事と言いくるめられてきている日本人にとって、単一のものだけ食べるとか、採食主義は、そんな偏ったことして大丈夫なのか？と不安に感じられがちです。ところが実は大丈夫どころか、胃腸を休め、消化酵素の消費を抑えると、代謝が活発になり便秘が解消したりデトックスが進むことが科学的にも証明されるようになってきました。むしろいろんなものをたくさん食べ続ける方が消化に難儀し、内臓が疲労し、代謝が停滞しがちなのです。その究極の対処法がファスティングすなわち断食です。一日から三日、食事の代替として酵素ドリンクだけを摂り、その前後は準備食、回復食として「まごわやさしい」食やお粥、重湯などで徐々にならします。たった一日の断食でも私はウエストが２ｃｍ減少しました（体重計はないため不明(^^;）三日間した方はみなさま2～５Ｋｇほどの減量となり、写真のように体形も明らかに変化しています。たった一回ですよ！日頃いかに食べ過ぎて代謝が滞っていたかの反映ととることができると思います。お腹が出て体重が増え、太ってきたと感じている方のほとんどは、食べ過ぎによる代謝の滞りなのです。少しの間、食べることをやめ、身体のエネルギーを分解や排泄に使うことを優先にすると、脂肪が落ちるだけでなく、神経や感覚器が敏感になって頭がスッキリしたり、肌がキレイになったり、食べ物がおいしく感じられるようになったり、胃が小さくなるので少しで満腹を感じられるようになったりと、たくさんのよいことがついてきます。全ては健康に向かった産物です。私が最もよい効果と感じるのは、食べ物に対しての執着から離れられることです。1日三食食べることは決して身体が欲していることではなく、ただ習慣で脳が求めてしまっているいわば思い込み。忙しい時や疲れて寝てしまいたい時は夕食を摂らずに寝てしまい睡眠時間にした方が身体は休まることなどが実感としてわかってくると思います。ついでに、かつてドイツ栄養学からもたらされたという、1日に必要なタンパクや脂肪の摂取量なども何の意味があったのか？と、そんな古い情報からも解放されることでしょう。多くの動物はそれほど多様なものは食べません。なんでも雑食するのは、あの大きな体をもち、しかも冬眠をする熊くらいではないでしょうか？雑食性だとしてもその季節、その地域で摂れるものを欲しいだけ食べていれば十分です。私は日本ファスティング協会認定のファスティングアドバイザーとなりました。安心して断食中を過ごし、不安やついでに日頃の疑問も解消していただけるよう、オンラインで個別サポートをさせていただくことができます。こちらでは、断食中空腹をしのぎ、リバウンドしないよう製造された酵素ドリンクをお勧めしています。製造元の沖縄からの直行便、甘く酵素たっぷりのドリンクを飲みながら、ぜひデトックスにトライ！！してみてください。サポートやドリンクのお申込みもお待ちしております。
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20200905145806/</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2020 14:58:00 +0900</pubDate>
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<title>味覚障害</title>
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味覚障害どうしたらよいか？今週も、朝ドラ「スカーレット」の様子が、まるで身近にいる方のことのように気になりました。&nbsp;白血病の武志君が、薬を飲みながら自宅で陶芸作品づくりに打ち込んでいましたが、定期通院で受診した際「食欲はあるが味がわからない」と訴えます。&nbsp;そこで稲垣吾郎扮する主治医がどう応えたのか（は重要なのですが）そのシーンはなく、ただ母親である主人公にその事実だけを伝言し、特に指示はありません。これは困りますね。味覚障害がどんな感じで、食事はどのように対処すべきかを医師は伝えなければならないし、患者家族ももっと突っ込んで具体的な対処のし方を聞かなければと思います。&nbsp;「味覚障害」と言われたら、身体や消化代謝には問題ないが、知覚神経が効かなくなっているだけのように、聞き受けてしまいます。そして母親は、「食べないと身体に力がつかないから、わからなくても食べ！」といい、本人も母の愛情に応えるべく「お母ちゃんの味」を想像しながら食べますが、やはりとても困難そう。。&nbsp;残酷だと思いました。医師が「味覚障害」についてキチンと伝えないから、当人にはとてもかわいそうな仕打ちになってしまっています。&nbsp;ご家族や、近くで接する方はまず、「味覚障害」ってどんな状態なのか、想像してみなければなりません。味が全くしないとは、塩気や風味のないごはんや野菜を食べているのとは全くレベルが違います。たとえばケーキならばただのスポンジを食べているよう。はんぺんならばケシゴムを食べているようなのです。&nbsp;そう、まるで本物そっくりにつくられたロウやビニール製の食品サンプルを口に入れる様でしょう。いくら慣れ親しんできたお母さんの料理でも、スポンジやケシゴムは口に入れられませんよね。&nbsp;ではどうするのか？もちろん決まっています。食べないという選択肢しかないと思います。&nbsp;「そんなわけには・・」大概そんなご意見が返ってきますが、なぜ「食べない」ということに皆さんはそんなにも不安を感じるのでしょうか？あるいはとにかく「食事をしっかりバランスよくとって薬を飲んでいれば治る」と信じてしまうのでしょうか？&nbsp;断食という健康法があります。あるいは「療養法」と呼んでもよいかもしれません。なぜ断食が健康法で療養法にもなり、それによっていかに人々が元気になるかおわかりでしょうか？&nbsp;肌が艶やかになり、眼が活き活きと輝き、もちろん身体は軽くなり、慢性的な頭痛やむくみが解消したりといった効果をよく聞きますし、実際に拝見して感じたこともあります。なぜかといえばズバリ！消化器官をしっかりと休ませたおかけで、体調が一度リセットされ内臓が若返ったように機能を充足させたのです。&nbsp;味覚障害、拒食症、食欲不振などはいずれも、体内からの強制断食命令だと思います。消化力の受け入れ態勢を超えた食事や化学薬品等を摂り過ぎた為に身体から「待った」がかかったのです。&nbsp;「でも、、食べないとエネルギーが入らず身体の活力もでないのでは・・？」そう思う方はぜひご一緒に断食をしてあげてください。もしくは道場などの専門施設に行って大勢の方と一緒に体験をしてみてください。&nbsp;もちろん、胃がからっぽになると空腹感には苛まれますから苦しさもありますし、辛抱の必要はあります。お腹がすき過ぎると元気も消沈してしまいます。しかし一定期間の空腹を耐え乗り切ると、あとはすこぶる快適で身体に元気がみなぎり、もうあまり食べたくもなくなると言います。&nbsp;実は空腹感、満腹感とは、胃の中がいっぱいか空いているかの感覚に過ぎず、体力や活力とは全く別物らしいのです。&nbsp;本当の元気とは筋肉よりもまず内臓が疲弊しておらず、いつでも食事や精神的な負荷をも受け入れられる状態をいいます。だから断食やきわめて少食にすることはそれに近づきます。&nbsp;逆に食べ過ぎていると、胃がいっぱいいっぱいで、あらたな食べ物を受けいれられず、いわゆるストレスを過度に受けている状態と同じなのです。&nbsp;味覚障害は単なる知覚上のエラーではなく、身体の総合的なコントロール機能を発揮している状態なのだと私は思います。「食べたくない」という内臓からの声を受け止め、素直に従ってみると、内臓の整理や浄化が終わり次第「もういいよ」と食欲を促してくると思います。それを待って、おいしく食べたらいいのに、、、と私はスカーレットを観ながら祈ってしまいましたが、実話の武志君のこれからも知っています。せめてこれを読んでいる皆様はどうか、身体の声をよーく聴いて従ってみてください。お身体の思いをよく感じ取って従うことができたら、寿命が来る前に病気で亡くなったりはしません。私たちは予め決まっている寿命をもって人生を終えるのであり、病気でなくなるということはそれと闘って消耗し限界に達したということになります。闘わない方が確実長生きで苦しむこともありません。&nbsp;それでも皆様は食欲や味覚がなくても三度食べ、最後まで病気と闘い続けますか？
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<link>https://mathemata.jp/blog/detail/20200326234816/</link>
<pubDate>Thu, 26 Mar 2020 23:48:00 +0900</pubDate>
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